皆さん、こにゃにゃちわー

今日も一度はみたい世界遺産シリーズです。
今回の旅は2年前に猫八とさるちゃんが訪れた場所です。
今日のお話は歴史を振り返るお話ですが、出来る限りわかりやすく再編集しました。
さて、訪れた場所は??
洪陵(ホンヌン)・裕陵(ユルン)
一体ここが何か?と言うと

イ・ウン殿下と李方子王妃のお墓があるのです。
皆さんは李方子さまをご存知ですか?
李方子さまは韓国名ではイバンジャ
日韓併合後の政略結婚として李方子さまは、イウン殿下の元に嫁ぎます。
王族の関係が少し分かりにくいので
韓国ドラマ「ドクタージン」でお伝えしたいと思います。
気絶スンホンとしてお馴染みのこのドラマ
(猫八の悪意ある広め方)
大根役者スンホンはイ・ボムス演じる興宣大院君に完全に食われていましたが
ビジュアルだけはピカイチでした
←どうでもいいよ
イ・ボムス演じる王族の興宣大院君は王族としては権力がありませんでした。
そんな興宣大院君は息子を王様にする事で権力を得ようとします。
その息子が高宗です。
幼い高宗は父親である興宣大院君のあやつり人形でした。
その為、高宗の良い噂はあまり聞きません。
高宗の妻となった明成皇后は韓国ドラマにもなりましたね

大人になった高宗は父親である興宣大院君に
政治はお任せで興味がありませんでした。
その為明成皇后が政治に関わりだし
興宣大院君と明成皇后の間では激しい戦いが起こりました。
何人もの人を殺しその手段は残酷だったと言われる明成皇后。
自分の権力得ようとする明成皇后のせいで政治は大混乱しました。
そして、明成皇后は後に日本人に殺害されました。
そんな妻に興味がなかった高宗
沢山の愛人(側室)がいました。
その中側室のうちの1人である純献皇貴妃嚴氏との間に生まれたのが

イウン殿下です
イウン殿下はソウルで暮らしていましたが10歳の時に

伊藤博文に連れられて日本へやってきます。
(このお札めちゃくちゃ懐かしいな)
イウン殿下は明治天皇にとても気に入られていたと言われています。
話を戻しまして女学校へ通っていた方子さまはある日新聞を見てビックリします。
にゃんと!
自分が韓国の王族と政略結婚すると書かれていたのです



方子さまは新聞を見るまで自分が結婚するとは知りませんでした。
自分の結婚を新聞で知るって・・・
方子さまは新聞を読んで自分が韓国人の元へ嫁ぐ事を知りました。
これはまさに!!



ガチな恐怖新聞ですよね

恐怖新聞が実在していたとはね

女学校へ通っていた方子さまは、周りからは気の毒に思われていました。
当時まだ16歳だった方子さまは、女学生だった頃はこのスタイル。
周りのご学友からは気の毒に思われていました。
しかし、ご本人は「お国の為」だと決意し文句1つ言わずに嫁がれています。
その為、ご結婚が決まると
※イメージ
真ん中分けの朝鮮結きに髪結いをして、通学されたそうです。
イウン殿下は前回のお話でも書いていますが
10歳の時に伊藤博文に日本へ連れていかれてしまいます。
お生まれが徳寿宮だと聞いて、身近に感じなかった宮廷が身近に感じました。
なぜならこの旅の前に極寒の中、徳寿宮へ行っていました。
ジソブも徳寿宮で昔撮影していましたよね。
←関係ない

そんなジソブと猫八の運命はさておきまして

方子さまは嫁がれたと言っても日本で暮らしていました
祖国を離れ日本で暮らすイウン殿下を方子さまは生涯支えます。
第一子がご誕生された時にイウン殿下と方子さまとご子息李太王は韓国へ1度帰国します。
しかし
生まれて間もない李太王は帰国中に
死んでしまいました(゚◇゚)ガーン
李太王は緑の嘔吐物を吐いたことから毒殺だったと臆測されています。
真意は分かりませんが韓国か日本かどちらかが暗殺を行ったようです。
お二人は両国の架け橋となろうとしていたのに、両国は敵対したままでした。
そして、日本が敗戦し第二次世界大戦が終わると韓国は独立します。
韓国はこの独立をきっかけに王室が喪失します
お二人も身分を剥奪されてしまいました。
王族から身分を剥奪し、新しい国家を作ろうとしていました。
イスンマンはお二人の帰国を妨げました。
その為イウン殿下は祖国に帰国できずそのまま息を引き取る事に?

そんなお二人が眠る洪裕陵へ行ってきたんですけど

お二人がなぜ韓国へ戻る事が出来たのか?は
さておきまして、旅のお話に・・・
清涼里から中央線に乗りやって来たのは?
金谷駅
何にもありません





ここからのバスに乗り2つ目の停留所で洪裕陵下車します。
曇っていたけど暑かったです

簡単に言うと王様のお墓なんだけど

もちろん山の中にあり


すぐに墓には辿り着くわけもなく

山を見て
坂を見て
息切れしてたら墓につく~





(TOKIOのリズムで)
韓国地方旅あるある

体力必須!
( º дº)<キエェェェエエェェェ
この写真にもある植物が写っています。
何だと思いますか?猫八が見るのは子供の頃以来でテンションが上がりました

探して見てください

ユネスコ世界遺産の「朝鮮王陵」のひとつ「洪裕陵」(ホンユルン)に隣接する「英園」(ヨンウォン)にあるお墓に行きます

ありました



ここに方子さまとイウン殿下が眠っています。
もしやこの石像は!



内侍じゃないのかい?
えっ?内侍と言えばこの人でしょ?
名前は知らないけど





内侍と言えば猫八はイサンのテスを思い出してしまうのよね

テスは叔父パク・タルホの進めで内侍(ネシ)の見習いになろうとしていました。
けれどテスは内侍にはなれませんでした。
というよりなりたくても怖くてなれなかった。
何故かと言うとテスは

去勢する事が出来なかったから
(宮廷で働く男性は皆入る者は必ず去勢を行わなければならなかった)
だから内侍を見る度に

無いんだなって思うのやめたい
←どうでもいいよ
話を真面目な話に戻します。
英園の片隅にはイウン殿下と方子さまの息子、李玖(イグ)殿下も埋葬されています。
第一子を毒殺されてから

2度目の流産を経験し、
後にイグ殿下が誕生しました。
こちらがイグ殿下のお墓です。
イスンマン大統領が失脚すると朴正熙大統領(パク・チョンヒ)第5~9代が脳血栓で倒れたイウン殿下を韓国に呼び寄せます。
朴正熙大統領とは?
朴槿恵元大統領のお父さんです

イウン殿下と方子さまは昭和38年に韓国へ帰りました。
イウン殿下は10歳の時に日本へ渡り韓国に戻るにあたり56年も経過していました。
昭和45年長い療養生活を経てイウン殿下は亡くなります。
殿下の死後、方子さまは障害者の支援を韓国で行っていきます。
当時、韓国では障害者は家に隠す者でした。
国からの支援金はイウン殿下の治療費に当てていた為
自ら七宝焼きを作っては売り障害者の支援に当ていました。
そして、方子さまは晩年・・・福祉事業に精励され韓国の障害児の母
と呼ばれるようになりました。
平成元年に方子さまは亡くなられるまで尽力されました。
日本人でありながら朝鮮王朝最後の妃となり韓国の障害児の母と呼ばれるまでの72年は
お互いの国で多くの差別や誹謗中傷もあった事と思います。
そんな中で日韓の架け橋となられたイウン殿下と方子さま

そんな二人が眠るお墓なんですが、歴史を知ると
旅も変わりますね。
それでは、今日はここまで
あんにょん
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